ウイグル騒乱の最初のデモ
最初のデモは、7月5日の夕方から始まった。デモの参加者たちは、広東省の事件への政府の対応を批判し、徹底した事件の調査を要求して国際大バザール付近で抗議活動を始めた。別の目撃情報では、ウルムチ市中心部の人民広場周辺でも同様のデモが発生していた。サウスチャイナ・モーニング・ポスト紙は、最初の抗議活動に参加した、外資系企業で働く32歳の女性の証言を引用している。これによれば、広東省の事件の調査を求める人々が300名程人民広場に集まっていたが、集会参加者が1,000名を超え、当局からの解散指示を参加者たちが拒否した頃に暴力が始まったという。
7月6日、新疆ウイグル自治区のヌル・ベクリ主席は、公式発表として、騒乱発生までの詳細な状況を発表している。これによると、7月5日の17時ごろに、200名以上のデモ参加者が人民広場に集まったが、警察は約70名の集会指導者を逮捕し、迅速に状況を統制したとされる。その後、群衆は解放南路、二道橋、山西巷周辺のウイグル人居住地区に集まり、19時30分には1,000名以上が山西巷の病院前に集合し、19時40分には300名以上が人民路、南門地区で道路を封鎖した。警察はこの群衆を解散させたとしている。
デモが発生した経緯については、様々な見解がある。7月7日に記者会見したウルムチ市のジルラ・イサムッディン市長は、暴動参加者は、テンセントQQのようなインスタントメッセンジャーを通してオンラインで組織されたと主張した。タイムズ紙も、事件の数日前からタクシーの窓に秘密のサインが現れ出したとして、抗議活動が事前に計画されたものであると示唆した。一方で、世界ウイグル会議の議長ラビア・カーディルは、「デモは差別に対する抗議と、広東省の事件の「説明を求める」ものであり、平和裏に始まっている」と主張しており、この事実はウルムチ市当局も認めている。これに対して、ラビア・カーディルは、当局者による挑発行為があったとして、中国当局の発表を批判している。
ニューヨーク・タイムズ紙は、暴動が7月5日の18時以降に始まったとする目撃情報を伝えている。デモ隊と警察が対峙し、デモ隊と警察の衝突により、各地で放火、車輌破壊が発生した。暴動発生時には、少なくとも1,000名が暴動に加わっており、その後暴徒の数は約3,000名に膨れ上がった。AFP通信が目撃者の証言として伝えるところでは、約3,000名のデモ隊と警察が対峙し、デモ隊の中には棍棒やナイフで武装している者もいたとしている。
スタンガンと武器で武装した約1,000名の警官隊が配備され、群衆への警告のために威嚇射撃を行った。世界ウイグル会議は、デモ隊が暴徒化したのは、警察が群衆に向けて無差別に発砲した蛮行のためであると主張している。ラジオ・フリー・アジアが現場の目撃情報として伝えるところでは、デモ隊が人民広場に到達したときに、武装警察が電気ショックを与える武器を使用してデモ隊を制圧し、その後他のデモ隊がウイグル人居住地区で暴徒化した、としている。
ウルムチ市のジルラ・イサムッディン市長は、記者会見にて、暴動の広がりを以下のように説明している。これによると、一部のデモ参加者が、20時15分頃にガードレールをひっくり返し、3台のバスを破壊し始めた。暴動は20時半には、解放南路、竜泉街周辺まで拡大し、暴徒は警察車輌に放火し、通行人を襲撃し始めた。すぐに700-800名の群衆が人民路から大西門、小西門周辺に移動し、暴行、破壊、略奪、放火、殺人を行った。21時半には3名の死亡者、6名の警官を含む26名の負傷者が政府により確認された。警察の増援部隊が、暴動が激化していた人民広場、南門、団結路、競馬場、新華南路に送られた。警察は、22時には市内の主要幹線道路と商業地区を確保したが、裏通りでは暴動が沈静化せず、漢族への襲撃や車輌の破壊、放火が続いた。警察はその後小さなチームを組み、暴動後2日間で全市を徹底して巡回し、7月7日にはウルムチ市内は正常化したという。当局は「更なる混乱を避けるため」として、木曜日の21時から水曜日の8時まで、「広範囲の交通規制」を敷き、夜間の外出を禁止した。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
事件の過激化と拡大 の原因は何でしょうか。
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